準備
彼女は、探鳥を行うにあたり前もって準備することの大切さを十分理解していた。 1977年のケニヤ旅行の前には6ヶ月間にわたりガイド本で勉強をしていたし、前年のエクアドル/ガラパゴス旅行でも、準備を試みてはいた。 残念ながら、それ以上にエクアドル本土は手に負えないほど難しかったようだが。
本の中で「出会うかもしれない鳥達について、前もって沢山の事を知っておくことは安心感にもつながり、さらに、頭でイメージすることで関連した名前が容易に入ってくるし、これから出会う鳥相について細かい知識の構造体を頭の中で作り上げるのが、とても楽しかった。」と述べている。
実際、彼女にとって勉強すること=挑戦であり、面白いことだったようだ。
「外国での探鳥、特に熱帯ではあまりに沢山の鳥がどんどん現れるので、数%しか吸収できない事態にしばしば陥ります。
本当の専門家は、瞬きする間に移動してしまう群れの中からでも、見たり声を聞いたりした鳥の名前を早口言葉のようにスラスラ言うことができますが、我々のような素人は、前もっていくらかでも知らないことには、『ライファーをみつけた』と言えるほど名前と鳥を結びつけることは出来ません。
一時間後、一日後あるいは一週間後に、もう一度同じ鳥を見たときに正しい名前を言うことはなかなか難しいことなのです。
テープレコーダーで繰返し声を聞こうとしても、そうしている間にもリーダーは他の鳥達の所へ移動してしまいます。 探鳥は、その場その瞬間が全て、情報を書き留め学ぶ時間などほとんどないのです。
このような初心者が陥る問題は、世界中のどこでも起こりますが、南アメリカでは特にそれが顕著でした。
勿論、リーダーが名前を言ってくれるかもしれませんが、前もって心の中で分かっていれば、遙かに満足感は大きいのです。 重要なのは、自分が知っているが故にその種を同定できたと認識することなのです。
始めるとき、心の貯金箱に、基本的な同定の知識をたくさん持っていれば、その場所の鳥について、より容易に学ぶことができるだろうし、そのバーディングの経験がより意味のあるものになります。」と述べている。
探鳥旅行の準備は、材料集めから始まるが、これが楽しかったようだ。 通常、その地域のフィールドガイド、チェックリスト、旅程表、文献を集めるのだが、1982年始めにアジアの鳥類の第一人者であるベン・キングと出かけたヒマラヤ旅行では、包括的なガイドブックすらなく、文献も色々なリソースに散らばっていて、いくつかの科についての小論文があるだけの状況で、英語名すら理解できない状態だった。
そこで取ったのが、一冊のノートに種のリストに従って系統的に要約するやり方だった。 ノートに種の名前とその要約を記載しておき、左の余白には、情報を見つけた場所や、あれば関連図版の略号を記入する。 実に数ヶ月を要する地道な作業だが、これによりベンが命名した英語名が頭に入っていった。 以後このやり方を続けてきたが、後悔したことがないそうだ。
学名
ただ一つ失敗だったのが、ラテン語による学名の命名法、特に属名の勉強を怠っていたことだった。 同じくヒマラヤ旅行に参加していたアフリカとアジアの鳥類の権威であるデール・ジンマーマンとベンは、数えきれない回数、属や種のラテン語名を参照しながら議論をしていたのだが、ラテン語の分からない自分が口を挟むと邪魔をしてしまう結果に。 そこで、学名を学習する必要性を痛感することに。
これは次のペルー旅行でもさらに明らかに。 伝説的なテッド・パーカーが率いたこの旅行で、彼は参加者に見つけた鳥を属名で言うように求めた。 見つけた鳥を彼が同定するのに属名が必要で、これらの属名は、初心者が(もちろん専門家も)、莫大な鳥類の中から分類するための重要な手掛かりとなるものだからだ。
日々の雑用
一つは、その日の終わりに真面目にチェックリストを付けること。 早いペースの旅行では、たった1日、2日過ぎただけでも思い出すのは驚くほど困難になり、同じ日ならとても簡単で、いかにこれが大事なことかがわかる。
二つ目は、毎日ポケットノートに書き殴ったフィールドノートを解り易く明瞭に、旅行日誌に書き直す作業。
ポケットノートは、その日行った場所、標高、生物の詳細、興味ある景色等々の落書きのようなもので、これらの情報は家へ帰ったときに、いずれはカードファイルに入るもの。 これを日々旅行日誌に書き直すことで、その日自分が何をし、何を見たのかを永久に実況解説してくれる存在ができる。 この書き直しはうんざりする退屈なものに聞こえるかもしれないが、元のフィールドノートに書き殴った時、日誌に書き写したとき、さらに家で種のカードファイルに書き写したとき、いずれの時も沢山の情報を思い出させてくれるメリットのある作業だそうだ。
三つ目は、カードファイルに保管する作業で、最も時間はかかるが、絶対に必要で本当に楽しめる旅行後に行う記録保管作業。 旅行で見た種それぞれ(始めて見た種かどうかにかかわらず)を正しいカードに記録することは、正しい科目分けを維持するために必要な保守作業だった。 明らかなライファーは新しいカードを作るが、時間を節約するために通常は旅行中に作ったり、帰りの飛行機で作ったりもした。 この記録保管作業は旅を再び生き生きとよみがえらせてくれる楽しい作業だったのだ。
80年代遅くまで、これらすべてを約10年間やり続け、本当に広範囲のカードファイルを持つことができた。
分類学の変革
1990年の終わりに「シルビーとモンローの世界の鳥の分布と分類」が出版されたとき、彼女の長年の努力が報われることに。
一晩で分類学に変革がやってきて、公式の世界リストに500の新種が現れた。
これらは地理的に再定義されたものが多く、例えば、アンデスの西のハイイロアリモズと、それに対するアンデスの東のハイイロアリモズのように。
彼女のカードファイルは、それぞれの種全ての場所をリスト化していたので、(意味のある羽毛や声の注釈も含め)新種を既に見たかどうか、殆ど全てのケースで容易に答えを出すことができた。
単に始めてその種を見たかどうかをだけを追求していた人達には、この時点での数えるのを諦めた人もかなりいたようだ。 ほとんどが以前見た種の名前だけを記載した形式だったので、再構築する術がなかったのだ。
それからも分類学の変化はすさまじく、それでも彼女のやり方は変化を乗り越え生き残り、どん欲にリスティング競争を行っている間はずっと、ABA規則とクレメンスの公式リストにのっとりながら探鳥を続けていた。