始まり

 今でもオーデュボン協会に名を残すジョン・ジェームズ・オーデュボン(John James Audubon 1785-1851)著の「アメリカの鳥類」(Birds of America 1838)の大ヒットがアメリカにおける探鳥ブームの礎となっている。 それから100年後、ロジャー・トーリー・ピータソンが著した「鳥類フィールドガイド」(1934)は、探鳥を、鳥を撃ち殺し屍骸を調査する研究者たちの手から、生きたまま鳥を姿と鳴き声で識別する普通のアメリカ人でもできる野外活動、一種のスポーツに変えてしまった。(ちなみにこの年、日本野鳥の会が設立され野鳥という言葉が初めて世にでる) その後、彼が1953年に国中を巡った探鳥旅行をまとめた本と記録映画「ワイルド・アメリカ」(Wild America 1955)が発表され、小さな脚注の「私がこの一年間に数えた鳥の数は572種」の一言が探鳥家たちを刺激することに。

競争の始まり

 触発された探鳥家たちは屋外へ出て、ライフリスト(LL)とイヤーリスト(YL)の競争を始めた。 これがビッグイヤーの始まりである。

Year Name LL YL note
1956 スチュアート・キース 625 598 25歳英国人
1963 アイラ・ガブリエルソン 669 ワシントンDC在住、無名
1971 テッド・パーカー 626 18歳高校生
1973 フロイド・マードック 669 31歳大学博士課程
1973 ケン・カウフマン 666 18歳高校中退ヒッチハイカー
1976 スコット・ロビンソン 6? 大学生 全米希少種注意報を利用
1979 ジェームス・ヴァーダマン 699 58歳製材コンサルタント業
1983 ベントン・ベイシャム 711 ABA幹部
1987 サンディ・コミト 722 ブロンクス出身の土建業者