生い立ち
1933年生まれ?、1998年当時65歳? 2歳で父親が蒸発、母親の実家ブロンクスで育つ、コミトの近所に住んでいて同じ学校の後輩だったそうだが、二人とも知らなかった。 ボーイスカウトで探鳥に目覚め、高校卒業後、ニューヨーク市立大学で化学専攻。
職業
ローム&ハースに入社、研究畑から(化学薬品による障害で嗅覚を失う。)営業へ移動、出世しヨーロッパ支社長、33年間勤めたが、早期退職。 CDI社にスカウトされ重役へ、その後、二度引退。
夫婦
結婚生活37年、夫は出張ばかりで30日間以上連続して一緒にいたことはなかった。妻エセルはその間大学にもどり結婚カウンセラーに。 やっと二人で過ごせると思った矢先、夫はビッグイヤーを始めたが、それでも妻は笑顔で送り出す。
特徴
年齢を感じさせない若々しさを持つ、アウトドアライフが生き甲斐のスポーツマン。 大企業の重役であり、人当たりはとても良く、人に好かれる人物。 少しでも鳥に興味を持つ人には鳥の餌入れをプレゼントしている戦略家でもある。 今回の挑戦にあたっては全てを自分一人でやることに決めていた。 ヴァーダマンの経営者的手法には共感していたが、探鳥界にあまり知られていない彼は、自分のような人間でも記録を破れることを証明したかった。
ビッグイヤーの始まり
一月一日、コロラド州アスペンの自宅からスタート、この日45種。 地元のスキー場から始める ハイイロホシガラス、カナダカケス、ハギマシコ
旅の途中
1月
1/19 245種
カリフォルニア州ボガデ湾 ツアーは高波で途中中止。 コミトに出会う。
1/22 シアウォーターの遠洋ツアー 船酔いでダウン、コミトに遅れをとる。
テキサス州ブラウンズヴィル市営ゴミ捨て場 メキシコカラス
4月 ハイ・アイランド
5月 アラスカ アッツ島 他の二人とは二週間遅れでアッツへ。 既に希少種が少なくなっていてこれが致命傷に。
8~9月
ノースカロライナ州アウターバンクス オレゴン海峡をでた大西洋の海は荒天でツアー中止となるが、ミラーと一緒になり、彼の存在を知る。
ミラー 666種 レヴァンティン 668種
ノースカロライナ州ケープ・ハッターラス 大西洋でも嘔吐
モントレー沖ツアーでも嘔吐
マサチューセッツ州プラム・アイランド国立野生保護区 スグロエンビタイランチョウ 675種
10月
ノースカロライナ州ケープ・ハッターラス ミス・ハッターラス号
三人が一堂に
コミト 736種、レヴァンティン 691種、ミラー 705種
ミラーと食事をして仲良くなり、一緒に旅をすることに。
まずは、コミトだけが見ていたヒマラヤセッケイを探しにネバダ州のルビー山脈へ。
ネバダ州エルコのエル・アエロのヘリをチャーター。
二人は生きた心地がしなかったが、ヒマラヤセッケイを無事見ることができた。
この後、ミラーがレヴァンティンをアイダホ州ボイシへ連れて行きヨーロッパヤマウズラを見せる。
この時点で、レヴァンティン 701種、ミラー 708種
その後、レヴァンティンはコロラドロッキー山頂にミラーを連れて行き、オジロライチョウを見せ、この時点でレヴァンティンの三位が確定する。
レヴァンティン 710種、ミラー 714種
ビッグイヤーの終わり
711種で終了
21万6000kmを旅し、車で数千キロを移動。
この一年は愉快だったが、6万ドル使った当たりで、旅をしたくなくなり、クリスマスイブに帰宅。 自宅で妻と過ごし、開放された気分に。
とても紳士的なスポーツマンなのだが、もう少しコミトのようなどん欲さ、狡賢しこさがあれば、上位に行けたはずなのに、少し残念に思う。
この人らしいといえばそれまでなのだが。
その後
コロラドで1年10ヶ月の引退生活を送り、再度CDIに請われ代理CEOとして復帰、一年後に引退。
ビッグイヤー中は何度も何度も海洋ツアーに挑戦するもことごとく船酔いでダウン。 海鳥の数で海洋ツアーが少ないミラーにも及ばずショックを受けていた。
その後も、懲りずにモントレー湾の沖合探鳥ツアーに挑戦、始めて船酔い対策が効果を。
映画との違い
細かい点では違いはあるが、もっとも原作に近い存在。 特に船酔いに弱い体質や、紳士的な点は原作通り。