全米一の自然保護団体は「オーデュボン協会」である。
 1963年オーデュボン誌は「600クラブ-アメリカのトップランキング探鳥家たち」という特集記事を組み、ライフリストの上位ランキング者の公表をおこなった。
 一方で、詳細に鳥の居場所をピンポイントで教えてくれるハウツー本すら出版され人気を博し、ますます普通の人でも探鳥を楽しむことができるようになった。
 当然、こういう状況に異を唱える議論もあっただろうが、大衆化は収まらなかった。
 逆にオーデュボン協会が環境保護には熱心だが、ライフリストの更新には興味がない状況に、納得できない探鳥家たちが1969年に設立したのが、アメリカ探鳥協会(American Birding Association)である。
 この筋金入りの探鳥家たちは、規定を設け、リストに数える鳥は、「生きて野生に棲息し、捕獲されていない状態で観察されねばならない」。
 また探鳥エリアは、「アメリカ合衆国本土49州およびカナダ、フランス領サンピエール島およびミクロン島、それに海岸から200マイル(320キロ)の海域か隣国との距離の半分かどちらか短い方」と定めた。 (なお、この定義は最新のABA Continentalのもので、2016年からはハワイ州も含めた範囲に拡大されているようだ。)
 1979年ジェイムス・M・ヴァーダマンが、ビッグイヤーを行ったとき、多額の費用をかけて、有名探鳥家を顧問として雇ったり、コレクトコールによる北米探鳥ホットラインを作ろうとしたが、いずれも自分の探鳥歴の浅さをカバーするためであった。
 結果的に699種で今までの記録を大幅に破ったが、探鳥技能に劣る素人に金に飽かせて記録を破られたと思ったABAの長老たちが、刺客として送ったのが1983年のベントン・ベイシャムである。
 彼は、チェックリストを作成し、鳥各々にコード1から5を割り当てた。
 (現在はコード6まであり、コード5は毎年は見られず、ここ30年間で3回以下の目撃例がある鳥。 コード6は絶滅したかABAエリア内には存在しないと考えられている鳥か?)
 そして、コード4、5の鳥の情報だけを全国4000人の会員に知らせるように頼んだ。 更に「探鳥」誌(Birding)は大々的なキャンペーンを行いベイシャムの後押しをした。 そして711種でヴァーダマンの記録を破ったとき、この記録は二度と破られない偉業だと長老など探鳥エリート達は喝采した。
 「探鳥は情報戦である。」
 アメリカにおいて、まずはエリート集団による探鳥ホットラインの構築がなされたが、あくまでもエリート達の閉じられた空間であり、普通の探鳥家がそこに潜り込むのは容易ではなかった。
 希少種が現れてもニューヨーク・タイムズが数ヶ月後に特集記事を出すまで知ることができなかったのだ。
 1985年先進的な探鳥家ボブ・オディアが「北米希少種鳥警報」North American Rare Bird Alert(NARBA)サービスを開始し状況が変わる。
 これは、彼が1970年代遅くに始めた”Bob-O-Link”という「電話ツリー」サービスを一歩進めたもので、希少種が現れたときに電話による情報提供を行うサービスである。 勿論現在でもWebやEmailベースで存在し、年間$50でメンバーになることができる。
 この物語の主人公のひとりサンディ・コミトは、1980年代初めにライフリスト全米上位10%に食い込んではいたが、探鳥エリートに属さない彼は、希少種情報をもらうのに苦労していて、このNARBAによるホットライン情報は天の恵みだった。 情報を利用した徹底的な探鳥を繰り返し、着々とライフリストを増やしていった。
 1987年、翌年のビッグイヤー挑戦のための予行演習のつもりで始めた探鳥で、その徹底的な探鳥が効を奏しベイシャムの記録を破ることになる。
 だが、722種の大記録をたてたにもかかわらず、ABAは冷ややかで、「探鳥」誌にも載らず、後に「探鳥インディ・ジョーンズ」という本を自費出版していた。
 そして1998年、11年経った今でも破られない記録保持者のサンディ・コミトが、再度挑戦を始めた時にこの物語の幕が開く。

Year Name LL YL note
1956 スチュアート・キース 625 598 25歳英国人
1963 アイラ・ガブリエルソン 669 ワシントンDC在住、無名
1971 テッド・パーカー 626 18歳高校生
1973 フロイド・マードック 669 31歳大学博士課程
1973 ケン・カウフマン 666 18歳高校中退ヒッチハイカー
1976 スコット・ロビンソン 6? 大学生 全米希少種注意報を利用
1979 ジェームス・ヴァーダマン 699 58歳製材コンサルタント業
1983 ベントン・ベイシャム 711 ABA幹部
1987 サンディ・コミト 722 ブロンクス出身の土建業者